さて、「きゅうてんちょっか」、制度の谷間のない「障害」の範囲を目指すと宣言した「基本合意」によって、やっと障害者自立支援法違憲訴訟とタニマーがつながりました。
が、難しいのはここからなのですよ・・・。この「難しさ」も、タニマ―をタニマーたらしめてきた理由の一つなんです。ちょっと人助けだと思って、がんばっておつきあいくださいませ。
3 疾患もちがたどってきた歴史
タニマ―の代表格のひとつとしてよくあげられるのが、我ら疾患もちグループです。
どうやら、新しい法律では我々も福祉サービスの対象にしてくれそうだ、ということで、わたしたちも色めき立ちました。
というのも、疾患もちたちは、国の「難病」についての政策の中で、いつも病名によって一喜一憂させられてきた歴史があります。もともと制度の谷間、福祉サービスの対象外のわたしたちですが、実は疾患もちのなかにも更に、制度の谷間があるんです。
難病と呼ばれる病気は5000種類とも7000種類とも言われますが、こういう難しい病気って「現状維持」の治療を受け続けるだけでも相当なお金がかかります。みんなと同じく3割負担でも、もともとが高すぎて「生きていけるかァ!」というお値段になるのです。
ちなみに、私の場合は3か月に1回の通院で、最高18万円請求されたことがあります。もう1回言いますが、これ、3割負担で、です。スーツ何着買えるねん、って話です。「かぜ薬いっちょうちょうだーい!」ではすまないのです。
その無数にある難病のなかに、国が治療費を助けようと指定する病気があります。
これを「特定疾患」といって、全部で56しかありません。
この病気と診断されたなら、治療費はどんだけかかっても一定(または無料)です。
ところが、症状が似ていても、医師からその病名の診断をしてもらえなければ医療費は普通のかぜと一緒。3割は自腹です。自分の病気だって絶対しんどいはずなのに、とどんなに思っても、3割自腹。
難病はその原因も治療法もわからないだけあって、診断もグレーなものがあるのです。
診断書を発行する医師の診断結果次第で、「対象外だから。」と言われて3割自腹。
そんな、病名による様々な不平等とか不条理を経験してきた疾患もちたちは、これまで、もっぱらこの、一番エクセレントな保障を受けられる「特定疾患」の指定を受けようと、国に要請し、交渉することを続けてきました。
疾患ごとに患者が集まり、患者会をつくり、自分たちの疾患こそ対象してほしい、対象から外さないで欲しい、と。
福祉サービス以前に、医療費を国費から助けてもらう分野で既に、わかりやすく分断されてきました。
それが基本合意では、「制度の谷間のない「障害」の範囲」と書いているわけですから、疾患の名前に関係なく支援してもらえるはずなのです。疾患内部の谷間もなくしてもらえるはずなのです。これは素晴らしいことです。
4 障害者基本法の場合
実際、できるかぎり谷間をなくす努力はみられました。
まず、障害者自立支援法に着手する前に、国の障害者福祉制度全体に共通する基本的な「理念」を定めた障害者基本法が改正されました。
第五回「あしたのせっけいず」を覚えていますか? この時の障害者制度改革の目標は、(1)基本合意の実現と、(2)障害者権利条約の批准でした。特に、(2)障害者権利条約の批准のためには、とにかく従来の日本の障害者制度を根こそぎ見直す必要がありました。
そこで、具体的な福祉サービスどないすんねん、という、障害者自立支援法を変える前に、障害者福祉制度全体にわたる理念を定めた「障害者基本法」をごっそり改正したのです。
この中で、「障害者」とは、
身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であつて、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。 |
と定義されました。
・・・わからない人、手を上げて―。・・・はい、ほぼ全員ですね。
まず改正前の障害者基本法では、障害者とは「身体障害+知的障害+精神障害があるもの」以上!終了!だったのですが、それに「その他心身の機能の障害がある者」とぼかす言葉を足したことによって、ついに疾患も対象に入ったわけですよ。
さらに、大注目なのは実はそのあとです。
「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」
障害だけではなく、「社会的障壁により」とあります。
はい、ここ、テストに出るから聞いといて~。 (懐かしいw)
普通、障害者が社会生活をするときに、バリアフリーな街じゃないから移動に難儀するとか、健常者よりできないことが多いので就職しづらいとか、そういった健常者に比べて不利な状態におかれるのは、その人の身体に機能的な障害があるから、と考えますよね。
でも、そうじゃなくて、そういった不利な状態は、その人の機能障害のせいじゃなくて、社会のありようがその人を不利に扱ってるからだ、という考え方があります。
このような考え方を、(医学モデルではなく)「社会モデル」による障害のとらえ方、みたいな言い方をします。
社会モデルとは「障害者が味わう社会的不利は社会の問題だ」と捉える考え方。障害者とは、社会の障壁によって能力を発揮する機会を奪われた人々と考えます。
・・・このへんは大事なので、あとでまた別の連載がなんとか解説してくれるだろうと思う・・・あ、「福祉ってなんなの会議」でつざきさんが説明している話もぜひ読んでください。
この定義がちゃんと定着すれば、今ある谷間はほとんど問題にならなくなります。
「疾患」=「障害」としてしまうと、国が指定した病気を持っている人しかサービスを利用できなくなってしまい、結局指定されているかされていないかのラインで谷間を生んでしまいます。
その点、社会的障壁があるかどうかが基準になれば、要するにその人が「どれだけ困っているか」を基準として障害者かどうか認定されることになるわけですから、もともとの病名がなんだろうが関係ないわけです。
理念を定めただけの障害者基本法とはいえ、このような谷間を感じさせない定義の法律が成立したことは非常に大きなことでした。
すばらしいじゃないですか、ここまでは。